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                                  2015年6月15日

研究報告 「”松下幸之助が石田梅岩に傾倒した”」 という噂は果たして本当だろうか?

           株式会社 ニューポート代表取締役 宇佐美泰一郎

                  (元松下電器産業(現パナソニック)顧問コンサルタント、松下政経塾塾員)


(1)現状の実態

  最近、世のCSRブームなどで、平田雅彦氏などの活躍もあって、石門心学の祖、石田梅岩が脚光を浴び再評価させている。ところが、この関連のネットのサイトを見るとたいていこのような表現が記されている。
   「あの松下幸之助も人生の師として尊敬していた。」、「事業に困ったら梅岩を読みなはれと松下幸之助が言った。」、「松下幸之助も石田梅岩に傾倒していた」などなど。
   私は今、自分の仕事の関係で石田梅岩を企業内研修で教えるため調査をしているのであるが、どこをみても判で押したようにこうした表現が流布しているのである。

 

(2)問題意識〜こんなこと学んだ覚えがないぞ!!〜

  しかし、私が松下政経塾でお世話になり、松下電器産業(現パナソニック)において幸之助さんのもとで改革の仕事をさせていただいた時はこのような話は聞いたことがなかった。
   仮に一言でも聞いていたら、私自身真っ先に石田梅岩を徹底的に研究したであろうし、また松下幸之助と直接接してきた松下のベテランOBからも聞いたことがない。
   「おかしいぞ、これ」と思って、今回上記のテーマにて調査を行うこととした。

 

(3)調査概要
   a. 調査タイトル;「"松下幸之助が石田梅岩に傾倒した”
     という噂は果たして本当だろうか? 」
   b. 調査方法 ;
     @松下幸之助発言集(全45巻)PHP刊の調査
     APHP社内限定の松下幸之助主要発言キーワード・
      データベースでの調査
     BPHP社内限定の松下関連全資料データベース調査
     C調査結果の分析検討
  c. 調査実施者 ;  宇佐美泰一郎
     (元松下電器産業顧問コンサルタント、松下政経塾塾員
      株式会社ニューポート代表取締役、中小企業診断士)
  d. 調査ご協力先 ;
     ● PHP研究所総合理念研究本部 様
     ● 松下資料館 様
   e. 調査実施日
     2015年6月12日(金)〜14日(日)

 

(4)調査結果
   @データベースからの検索結果はゼロ
     上記記載のデータベースは現在世界中に存在する松下
    幸之助に関するものとしては、最も信頼のおけるものであり
    ほぼすべての記録が保存されているものであるが、その中の
    いずれにも検索がヒットしなかった。
     この結果、次の事がはっきりした。

     「過去、松下幸之助は石田梅岩に関して一言の
       発言もなかった。」

  A幸之助氏への専門家のインタビュー結果
     この調査結果が一番今回の調査目的を決定的にするだろう。
    下記2名の著名な専門家の方がこのことに関して直接幸之助さんに
    インタビューしたものが出版物として現存していた。

   ●山本七平(Voice 7月号, 1989年7月1日発行)
     「昭和の不倒翁 松下幸之助」
     『それまでもしばしば翁のいわれることや行き方が、どこか梅岩
     と共通する点があるなとは思っていた私は、反射的に「いつごろ
      梅岩をお読みになりました』と質問してしまった。翁は怪訝
     (けげん)な顔をされて、「バイガン、知りませんな」と言われた。

   ●俵孝太郎著 「PHPの世界 松下幸之助 現代への提言」
     (日本能率協会)(1970)
     『これに対して松下氏は、石田梅岩や心学については、あとから
      他人がいろいろというのを聞いて知ったので、自分は別格梅岩
      の本に学んだのではない、といっている。』  

 

(5)調査分析
   @松下幸之助は石田梅岩を直接知らなかった。
     今回の調査結果で、幸之助さんが石田梅岩を直接知っていたわけ
    ではないことが明らかとなった。

  A松下幸之助は本で読んで学ぶのではなく、現場で経験し、色々な
    人から話を聞き、考えて考えて考え抜く、”現場実践の哲学者”で
    あることが改めて明らかとなった。

  B松下幸之助さんの思想は独自の深い思索によるものであった
     幸之助と梅岩、この二人の思想の類似性は多くの専門家が指摘
   するところであるが、しかし松下さんが梅岩を読んだり研究したりして
    その哲学を構築したのではないことがこれで明らかとなった。

 

(6)考察
   @ネット社会の脅威
    今回の調査からネット社会の恐ろしさを改めて実感させられた。
    一つのサイトの情報がネズミ算式に多くのサイトに伝染していく。
    結果それが真実であるかのごとく流布されていく。このことの
    怖さである。

   A松下幸之助の思想はオリジナル
      また、今回の結果は松下幸之助という人間像を改めてはっきり
    させたかもしれない。実はサイトで「松下幸之助は石田梅岩に
    傾倒していた」と読んで、私自身最初はその可能性を否定しな
    かった。  
      というのも第2次世界大戦後、彼はGHQから財閥指定を受け、
    事業から遠ざかっていた。
      このころPHP活動を始める準備活動で徹底的に「人間の幸せと
    は?」「人間の心とは?」「そしていかにしたらこの世の中は幸
    せになるか」を思索し、研究していたのである。
      「もし彼が石田梅岩を研究していたとしたらこの時期だろうな」
    という仮説を私自身持っていたが、今回の調査はその可能性を否
    定するものであった。
      松下幸之助という人は、元来、本を読んで哲学を構築するタイ
    プではない。尋常小学校4年間だけしか正規の学校教育を受けて
    おらず、あとは船場の自転車店での商売の実地教育が彼の学歴で
    ある。一時夜学に通ったことはあったがそれも十分な成果をえた
    わけではなかった。
      むしろ、現場の体験や周りの人から「聞きまくった」衆知を集
    める現場叩き上げの人間である。彼の哲学構築の一番の特徴は、
    この現場重視の情報入手方法ともう一つは、考えて考えて考え抜
    くという思索の深さにある。
      彼が胸の病で常に死を意識して生きていたのは有名な話である。
    他の従業員が働いているのに彼は自分が先頭に立って働きたくて
    も働けない悔しさは想像を絶するものである。そんな時、病床の
    中にあって、彼に唯一出来たの「考える」ことであった。

      たとえて言うならば、ジューサー・ミキサーで生のジュースを
    作る時を想像してみるとよい。この時、果物や野菜などたくさん
    の食材を入れるわけだが中途半端な撹拌だともとの材料の形が
    残ってしまう。
     しかし、この撹拌が徹底的なものであれば、もはや元の材料が
    何であったか全く判別すらつかないだろう。つまり松下幸之助は
    深く考え抜くことで、徹底した撹拌を行ったわけで、たとえ元は周
    りから聞いた、あるいは自分の体験からきたもの、身近なもので
    あっても、この考え抜くことで、彼オリジナルの思想、物事の本質
    にたどりついたといえよう。

  B石田梅岩から松下幸之助への思想の流れは?

    石田梅岩という江戸時代の思想家は、元禄時代のバブル社会が
    崩壊したあと、当時の大きな商家は7〜8割が倒産した後の時代
    に世に出た人である。士農工商の厳格な身分社会の中で虐げられ
    た商人たち。その商人たちに「商いは立派な商売である。胸を張
    りなさい。あきんどにとっての利益は武士が俸禄をもらうのと同
    じです。正直に正しく儲けたお金は正当なものです。武士が主君
    を仰ぐように、商人にとっての主君は天下の万人、つまりお客様
    なのです。」(宇佐美要約)とこう主張した彼の考え方は瞬く間
    に広がった。
     特にただ単に倫理的な意味でいったわけではなく、「素直で
    正直であれば8割がた商売は上手くいきます。そこで欲張らずに
    地道にやっていれば目先の華やかさはないが、長い目で見るとそ
    の方が絶対に儲かる。多くの老舗は皆そうしてきました。だから
    バブルがはじけて大変な時でしょうけれど、絶対に失敗しない、
    こけない商売はこのやり方しかないです。」(宇佐美要約)

    ”ありべかかりの心”、つまり人間が生まれながらにして持っ
    ている純粋で素直な心。こうした状態に常に心を置いておけば、
    結果従業員も明るくほがらかで、お客さんにも親切にふるまえる。
    結果、店の信用もついて経営もうまくいく。第一、お客さんが
    信頼してくれる。これが最大のお店の財産です、とそう梅岩は
    言ったわけである。
     この梅岩の思想は文字通り大ヒットした。とりわけ彼の死後、
    手島堵庵、中沢道二、柴田鳩翁ら弟子たちの活躍により全国
    34藩に広がり、心学講舎も180ヶ所を超えたと言われる。
    さらに幸之助さんが過ごした大阪船場の地。江戸時代の経済の
    中心地、「天下の台所」大阪だけも7か所も石門心学の講舎が
    開設され現在でも活動を続けているものが存在する。

     この結果、大阪商人だけでなく、近江商人、伊勢商人、江戸、
    京都など全国の商人に波及していった。
     そして、ちょうどタイミングもバブル崩壊のあと、それぞれの
    商家ではその教訓を家訓として後の人たちに伝えようと家訓づく
    りがブームとなった時期と重なった。
      結果として、各商家の家訓に梅岩の思想が強く影響を与えた
    わけである。
      直接石門心学を学ばなくても、家訓など明文化したもので伝
    えられれば、その影響は代々及んでいくことになる。石田梅岩の
    思想だと知らない人でも、その思想の影響を結果的に受けている
    ことになるわけである。       

    松下幸之助さんは大阪船場で商売を身体で叩きこまれた人。
    周りの人も多くは大阪のあきんど、商売人であり、当然梅岩の思想
    を陽に陰に受け継いできたので、松下幸之助さんの作るジュースの
    中に梅岩のエッセンスが入っていたとしても全く不思議ではなかっ
    たと思われる。

以上

 

 

 

プロフィール

宇佐美 泰一郎(うさみ たいいちろう)  DAIBUTSU@newport.co.jp

  1962年、名古屋市生まれ。早稲田大学理工学部経営システム工学科卒業。松下政経塾卒塾。「経営の神様」松下幸之助翁の直弟子として指導を受け、その後、10年間に渡り松下電器産業の顧問コンサルタントとして改革支援チームを指導。数多くの企業、組織にて改革を成功に導く。チェンジ・エージェントの育成を通じた組織変革には定評がある。改革支援サイト( http://newport.jp )を運営。株式会社 ニューポート 代表取締役。中小企業診断士。